人気ブログランキング | 話題のタグを見る

甲田光雄さんの一生を振り返りながら思うこと

  甲田先生は少食断食健康法を徹底されました。1日1食、夜8:00頃に食べる以外は、生野菜ジュース&生水のみの半世紀でした。20代前半で余命何ヶ月とか宣告されてもへこたれないで生活改善に取り組み、西勝造さんを通じて民間療法、6大法則などを学び実践しながら、大阪八尾市で病院経営をされてきました。
  先週は追悼式、息子さん(医者)が実行委員長。そうだ、工房あかねの前島さんも甲田さんの指導で肝臓直したといっていた。ぼくの親父は30代前半で胃潰瘍、神経症、仕事の失敗でやばい状況になり、西勝造の道場に通っていた。縁って不思議だね。ぼくも20代から40代に、呑みすぎ食い過ぎ人間関係ストレスや政治的悩みで心身がボロボロになったこともあり、時々は彼の考え方に共鳴しはまってしまいましたが、今ではぼく流にしています。
  余談ですが、昨日帰りに「カツドン」食ったよ!30年ぶりくらいか。佐渡では河村さん手作りのでっかいウインナソーセージを3本も、「テッちャん」(玉上のコミカフェ呑みや)の親子丼もうまいと感じる。最近家でつくるゴーやチャンプルには卵入れるし、恐る恐るこんせん牛乳を飲んだりもしている。
  ベジタリアンではなかったのか?最近の食生活の変化には何か理由があるのか?良く考えて見ますが、1つのターニングポイントは、2008年5月5日の長岡式酵素玄米食事開始、体重の減少(40年間で10kg、とくに最近5年間で62kg⇒56kg、6kgも減少)、反面ではこの10年間風邪、腹痛、腰痛、肩こりなど無縁の健康生活なので、ちょっとここらへんで、ためしに食いたいと思うものを感謝しながらいただいてみましょうかという気分になってきたということかもしれません。藤田紘一郎さん(東京医科歯科大名誉教授)の研究では、「60過ぎたら少しは肉を食べるほうが良い。血液型Aの人は、豚肉、うなぎが相性が良い。」とかいわれていますが、ほんまかいな?おっと気が付いたら今日は字ばっかしだったね。ここまでつきあってくれてありがと。
  1頭の肉牛を育てるために必要なとうもろこしで、30人以上は食えるのではないかということや、ケージ飼いで運動不足・抗生物質づけの鶏さんたちをどうみるのかとか、野球ドーム10杯くらいのごみの山とか、BSEとすべきなのに相変わらずマッド・カウ・ディジーズを平気で使っているジャパン・タイムスの記事などを読んでいますと、たくさんのやるべきことがあると思いますね。あきらめない、あわてない、すこしずつ、楽しみながら続けましょう。甲田先生の位牌を前に合掌・・・
★★★ 息子さんの追悼文です。
「                       寄稿

                     「父の死に様から学ぶもの」

近畿大学・医学部・准教授
甲田勝康

「大自然のように死んでいきたい」、それが父の願いでした。私が、父の学問の中で尊敬しているのは「平等の精神」を医療に持ち込んでいることです。父の提唱する「少食健康法」の根底には「平等の精神」があります。
人は食物連鎖の頂点に立ち、すべての食物に生命があることを忘れてしまっています。食べ物が生き物であることと、それを戴く感謝の気持ちを忘れて、グルメを貪っています。しかし、牛も鶏も米も野菜も全ての食物は生き物です。「少食健康法」の根底には、全ての食物に感謝し、全ての命を無駄にしないで戴くという「平等の精神」があります。
現在、世界の食糧生産量に限界が見えてきました。そんな中、経済的に余裕のある国では様々な食糧があふれ、過食や肥満による疾病が増加しています。WHOの推計によると約8億人がこれに当たります。逆に、FAOの推計では7億5千万人が社会経済的理由で飢餓に苦しんでいます。何と不平等な事でしょう。父はこの解決策として「少食の思想」を提唱してきました。
幼少期から大食であった父は大病を繰り返し、学生時代には入院している大学病院の主治医から「こんなところに入院していても無駄だから早く家に帰って養生しなさい」と見放されました。そんな中、民間療法の断食と出会い、50年も寿命を延ばすことが出来ました。この断食や少食を実践し続けていく中で食物に対する「愛と慈悲」つまり「平等の精神」に到達したわけです。
先進国では、医療費が国家財政を圧迫しています。高度先進医療が進むと医療費の負担が増えるからです。一方で、多くの発展途上国では、満足な医療を受ける事が出来ない人がたくさんいます。なんと「不平等な医療」でしょうか。父は「自然医療」を推進しようと尽力してきました。「自然医療」にかかる費用は僅かです。多くの人が受ける事の出来る医療です。そんな信念から、父は現代の常識的に行われているような検査や治療を全く受ける事無しに死んで行きました。まさに大自然のように死んでいったのです。
死を迎える直前、父はご縁のあった皆様に感謝しておりました。父にかわって御礼申し上げます。                                                             平成20年9月19日
  

by syokunou2007 | 2009-08-22 10:42 | 事務局見聞録  

<< 『エンデの遺言』(森野くん)について パルシステム前史 その1 「一... >>